今夜のお弁当の蓋に、懐かしいステッカーが貼ってあった。
5月25日に、避難所の夕食でお弁当が配給されることになって、しばらく貼ってあったステッカーです。
本震発生直後。緊急避難場と指定されているのは小学校のグラウンドだ、ということで。 体育館も良いと、認められたのは3日か、4日後。
九州電力の復旧は称賛できる早さで、プロパンガスは、会社周りの地盤の割れなどで、ご苦労の中で復旧にきてくれた。余震では水道の復旧も早かったものの、本震では時間がかかった。
それで煮炊きができずに、非常時に準備されている食品も思う様にまかなえなかった。やがて、水道が通ったよ、と明るい声をきっかけに、小学校の給食のおばちゃんが大活躍。
それは、野菜の皮むきや切り刻むのに、自主的に(他にすることもなかったし)女性たちが手伝い、 子供達も加わり、今日の夕食のカレーはお母さんたちと子供達で作りましたよ。そんな、共同感が出来上がった。
それから、5月に授業が再開するまでは先生方の協力や、国際ボランティア青年団の長期間の協力で、避難所スペースの利便性を高める提案、避難所での共同生活のルールを、人海戦術で監督されたり手助けしてくれたり。
その後は、他県から自分たちがお世話になったのでと、炊き出しに来てくれる様になり。監督とうんようはしのしょくいんさんたちにかわった。
職員さんがいることで被災の手続きなど、相談に乗ってくれたり、有用になっていった。
入浴の支援で、避難所外での食事も増えてきた頃。中央区の避難所で近所の料理店が配ったおにぎりで食中毒が発生。地震後初めての多くの人が病院に行く自体が起こった。
その頃から、わたしも鼻水が止まらなかったり、喉が痛くて声を出すのが苦しかったりして悩んだ。 続きを読む
県内で震度4を観測したのは7月9日以来。
地震の影響で、九州自動車道熊本ー松橋インターチェンジ間が通行止めになった。 続きを読む
わたしも考えが変わったの。そして、それって大切なことだと思うの。
その見事な女性らしい身体のカーヴを武器のようにアピールするわけでなく、あの娘らが、ビキニの様な服装でおヘソを出してストリートを闊歩している。ビーチやプールが近くにあるリゾートでもないのに、若い男たちはサンダルを履き、ステテコ姿で繁華街のデパートを出入りしている。下駄履きのバンカラ、着流しの遊び人、腹巻き姿の労務者も今は見かけないというのにである。続きを読む
心を人々の寄せ、国民とともに歩み続けてこられた天皇陛下の『お気持ちの表明』
象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(平成28年8月8日)
続きを読む戦後70年という大きな節目を過ぎ,2年後には,平成30年を迎えます。
私も80を越え,体力の面などから様々な制約を覚えることもあり,ここ数年,天皇としての自らの歩みを振り返るとともに,この先の自分の在り方や務めにつき,思いを致すようになりました。
本日は,社会の高齢化が進む中,天皇もまた高齢となった場合,どのような在り方が望ましいか,天皇という立場上,現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら,私が個人として,これまでに考えて来たことを話したいと思います。
即位以来,私は国事行為を行うと共に,日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を,日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として,これを守り続ける責任に深く思いを致し,更に日々新たになる日本と世界の中にあって,日本の皇室が,いかに伝統を現代に生かし,いきいきとして社会に内在し,人々の期待に応えていくかを考えつつ,今日に至っています。
そのような中,何年か前のことになりますが,2度の外科手術を受け,加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から,これから先,従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合,どのように身を処していくことが,国にとり,国民にとり,また,私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき,考えるようになりました。既に80を越え,幸いに健康であるとは申せ,次第に進む身体の衰えを考慮する時,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています。
私が天皇の位についてから,ほぼ28年,この
間 私は,我が国における多くの喜びの時,また悲しみの時を,人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして,何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが,同時に事にあたっては,時として人々の傍らに立ち,その声に耳を傾け,思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に,国民統合の象徴としての役割を果たすためには,天皇が国民に,天皇という象徴の立場への理解を求めると共に,天皇もまた,自らのありように深く心し,国民に対する理解を深め,常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において,日本の各地,とりわけ遠隔の地や島々への旅も,私は天皇の象徴的行為として,大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め,これまで私が皇后と共に行 って来たほぼ全国に及ぶ旅は,国内のどこにおいても,その地域を愛し,その共同体を地道に支える市井 の人々のあることを私に認識させ,私がこの認識をもって,天皇として大切な,国民を思い,国民のために祈るという務めを,人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは,幸せなことでした。
天皇の高齢化に伴う対処の仕方が,国事行為や,その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには,無理があろうと思われます。また,天皇が未成年であったり,重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には,天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし,この場合も,天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま,生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。
天皇が健康を損ない,深刻な状態に立ち至った場合,これまでにも見られたように,社会が停滞し,国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして,天皇の終焉に当たっては,重い
殯 の行事が連日ほぼ2ヶ月にわたって続き,その後喪儀 に関連する行事が,1年間続きます。その様々な行事と,新時代に関わる諸行事が同時に進行することから,行事に関わる人々,とりわけ残される家族は,非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが,胸に去来することもあります。
始めにも述べましたように,憲法の
下 ,天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で,このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ,ここに私の気持ちをお話しいたしました。国民の理解を得られることを,切に願っています。
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