熊本地震避難所ジャーナル

頑張るばい熊本 負けんばい熊本 熊本地震秋津小学校避難所の記録

このブログは避難所の無料Wi-Fi環境で書いています。区役所の方から声がかかったり、断筆せざるを得ない時があります。また、フェースブックなどからコメント通知があると、漢字変換が実行されないことや、タイピング漏れが起こります。しかしそれもそのひのじゃーなるとして、ごじつてなおししたりはしません。 夕食後の一時間ほどを1日のジャーナルとして書く時間にしていますので、その間コメントやメッセージを控えていただくと幸いです。(避難所は8月15日に閉鎖)

負けんばい! 後ろを振り返らない、わたし達の復興ワークショップ

平成28年8月28日、同じ場所で2つの復興ワークショップがスレ違う。

新学期が始まって早々に発生した熊本地震。今年は一週間以上早く二学期が始まる。そのことは、お盆休みを取っている暇はないということだ。
8月15日で避難所から退去を強いられたことで、熱中症の心配があろうがなかろうか、電気が使えずエアコンの使えない自宅で、『わたし達の復興ワークショップ』の準備をはじめた。

くまもと復興カフェ

『わたし達の復興ワークショップ』と同日に、同じ建物の9階で熊本市がワークショップを行うと呼びかけている。熊本市長がFacebookで呼びかけたのは8月16日のこと。申し込み締め切りを一週間近く過ぎている。『復興カフェ』を謳っている。是非とも味わい深い時に成ってもらいたい。

八女茶、矢部茶。熊本はお茶も名産です。定員割れで「やめちゃ」なりません。熊本城を何より早期に復元がしたい意向で熊本市は動いている。2020年を目標にしているとも聞く。素晴らしい心意気ですね、その時分には仮設住宅も解消されていると胸を張っているような心意気、自信満々だ。続きを読む

おばあちゃんの梅干し

おばあちゃんの梅干し
梅干し瓶のおばあちゃん。
馬見塚のおばあちゃんは、昭和43年から、こちらで家を持った。
1968年。沼山津という方が秋津町よりも通じやすかった時代だろう。それから48年。
農家には未だ馬が居て、道は未だ塗装されていなかった。

この梅干し瓶は、何代目かだろう。
でも、おばあちゃんの梅干しは多くの家族を育て、お客さんのおかずやお茶請けに成ったことだろう。
毎年、青梅の汚れをひとつひとつ丁寧に落とし、カビの生えないように天候に気をつけながら天日干しをして、瓶を一杯にしたことだろう。
いくつも瓶があっただろう。

この梅干しガメ一つに、半生記暮らした思い出が染みているに違いない。 続きを読む

おばあちゃんの梅干し瓶は、教頭先生が預かっています。

日本食は日本人の身体に最適な知恵が作り出し、受け継いできたもの。

昆布や椎茸のだしが創りだす『旨味』。近年は海外でも注目されてきました。 動物性蛋白質に野菜を取ることは、健康維持のために大事な栄養素。避難所でも随分と聞かされた大事なことです。
いろいろな炊き出しを受け、嬉しい避難所でしたが、一番ホッとし満たされたのがおばあちゃんの手作りの梅干しだった。

馬見塚さんの梅干しガメ


本震前の大きな余震が起こった時。わたしはFacebookでやり取りしていた。夕食はその数時間前に、いつも以上に豪華版の特製麻婆豆腐を作っていた。
その日、お米を買い。卵を買い。それもいつもは1パックなのに、ふたパック買っている。野菜の他に冷凍食品も買い込んで帰宅した。しばらく買い物に出かけなくてもいいくらい買ったな、非常体制を整えたみたいだ、と今思えば可笑しい。動物的予感だったのだろうか。

しかし、日常のテクノロジーに引きづられた。インターネットに気を取られていなければ、夕食を済ませていた。さて、一区切り。ひと煮立ちすれば完成の状態のまま鍋に入っている麻婆豆腐を煮立てようと立ち上がった時。大きく家が揺れた。
鍋に火をつけていたら、どうなっていたか。

慌てて飛び出す時に持ちだしたバックに入っていたカロリーメイトが、その夜の夕食になった。翌日、早朝に自動販売機に行ったが停電していた。
その日に口にしたのは前夜の残りだ。

避難所で最初に手に入れたのはイースト菌を蒸かしただけのパンのようなもの。飲水はなく、二個のうち一個だけを大事に食べた。
その後、駆けつけた近所の区役所の出張所の職員さんが、見つけたという乾パンを貰った。数は少なく、気がついた人だけでわけあった。

ご飯は、アルミホイルで包んだご飯を、被害の少なかった家の方が目に止まった人にだけ手渡ししていて、わたしにも手渡してくれた。

避難所体制になってからも、おにぎりひとつで何も入ってない日が続いた。 続きを読む

熊本市東区、秋津小学校での避難所活動は終了しました。

お盆、終戦記念日。そして、熊本地震避難所の殆どが閉鎖した。


未曾有の熊本地震から今日で4ヶ月。震度4、震度5の大地震が数分おきに連続して起きたあの日。もっと大きな地震が来るのではないかと、不安に震えたのは誰もが同じだったのではないでしょうか。
普段でさえ、「震度3、ふとかったなぁ。」と会話の枕になるところ。数分をあけずに、連日続くなんて未曾有の体験でした。

それから思うと、たった一度の大きな地震なんて。と思う気持ちも内心わかないわけではありません。
そして、熊本空襲や東京大空襲とは、こういう心理状況だったんじゃないかとお年寄りとおしゃべりをしていて妙な、記憶の共有ができてるようになった思いがするのです。

熊本市秋津小学校避難所は、本来は小学校のグラウンドが緊急避難所指定なので、市政上は特別措置ということになるのかな。避難所として使っていいですよ、と発表されたのは大きな揺れが耐えなかった数日後のこと。
その避難所も、今朝最後の避難者を送り出し、午前中に片付けを済ませ閉鎖となりました。続きを読む

最後の夜に

「全壊」でも自宅に

熊本地震の被災者には生活上の不安などから、しちょうそんの指定避難所や応急仮設住宅を選ばず、車中泊や軒先き避難を続ける人がいる。益城町の女性は、罹災証明にかかる家屋調査で全壊判定を受けた自宅で暮らしている。
本震後に娘夫婦のマンションに避難したが、体調を崩した。ずっと部屋の中にいるばかりで、足の甲が腫れた。ずっと畑作業を続けてきた生活を絶たれ、外でからだをうごかさないとかえってげんきがでなくなる。そう思い、五月末には自宅の物置小屋で軒先き避難を始めた。
畑で野菜を育て、炊事や洗濯、掃除に汗をながす日常が何よりの心の支えと感じる。
生き甲斐か、安全か。この高齢の女性は生きがいを求め、仮設住宅入りを見送った。

この取材記事のすぐ下には、熱中症危険「実態博を」と専門家が指摘する記事が並んで胃る。熊本市で昨日は37。2度。全国で510人が熱中症と見られる症状で搬送された。
熊本日日新聞紙面の第一面でも、軒先き避難、テント、車中泊の避難全容を行政はつかめていないと指摘している。

今日、熊本市長の大西一史氏がフェースブックで、「熊本地震今日で4ヶ月」。みんなで復興に頑張っていきましょうと呼びかけた。頑張るのは誰もがみんなそれぞれだ。
区役所の職員は上に立つ人の言う言葉は、「もっと被害の大きい家はある。」、「本震からもう4ヶ月ですから」だ。励ましであろうが、ハッパをかけるのは職員のすることではない。もちろん市長も同様だ。
今回の大災害で、100年前にも地震があった。その時は1年間揺れが続いた。そんな資料が出てきて、熊本は地震がないからという思い込みだと誰もが知った。これは一体なぜだろう。「全壊」でも生活をしている人たちは多い。こうした記事は、個人の頑張りを利用した心理扇動に思える。
ここにも、大戦争の行政が敷いた国民心理の誘導が重なる。
行政は、あっさり4ヶ月で収束を約束してはいない。もう一回、震度5、震度6の地震、阿蘇山の大噴火を想定した用意があるのか、私はそこを知らないと安心ならない。 続きを読む

月曜日の早朝から整理にかかるが、日曜日の夜に寝泊まりは可能という話。

夕食のお弁当は今日、土曜日までですが日曜日はどうなされますか。
朝食中に切り出された。
日曜日の夜までは、寝とまりが可能。支援物資で残っている食事は出せますが。と、説明が続く。
土曜日の朝ごはん

 

5時半、十分明るいはずだがカーテンが閉じられていて夜更けの様だ。

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秋津小避難所の会
発生から2週間の記録
熊本地震 1カ月の記録
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