おばあちゃんの梅干し
梅干し瓶のおばあちゃん。
馬見塚のおばあちゃんは、昭和43年から、こちらで家を持った。
1968年。沼山津という方が秋津町よりも通じやすかった時代だろう。それから48年。
農家には未だ馬が居て、道は未だ塗装されていなかった。

この梅干し瓶は、何代目かだろう。
でも、おばあちゃんの梅干しは多くの家族を育て、お客さんのおかずやお茶請けに成ったことだろう。
毎年、青梅の汚れをひとつひとつ丁寧に落とし、カビの生えないように天候に気をつけながら天日干しをして、瓶を一杯にしたことだろう。
いくつも瓶があっただろう。

この梅干しガメ一つに、半生記暮らした思い出が染みているに違いない。 
『ちょっと行ってきます。戻ってきますよ、仏さんのおらすけんですね。
 梅干しのカメは頼んますね。カメは食べんごつ(しといてね)。
 なごはおられんから、また戻ってきます。』

4月23日。発震から一週間後。おばあちゃんの身体を気遣って、家族が伴って名古屋へ向けて熊本空港から旅客機が飛び立った。

『みんなで頑張って、もとの熊本にしておきます!だから、また、瓶いっぱいの梅干しを作って下さい。

おばあちゃんに告げた。

それから、からになった梅干しのカメはおばあちゃんの手元に戻る日を待った。

しかし、もうおばあちゃんは戻ってこないだろう。
名古屋にいかれてから、認知症を発症。生活環境の変化が起こしたことなのか、それまでに傾向はあったのか。
震災による関連死ではないと判断される要因は多いが、震災で生活環境が変化したことで発症し、進行したことは想像しやすい。

馬見塚のおばあちゃん。大きくてふっくらした紫蘇漬けの梅干し、美味しかったです。