「全壊」でも自宅に

熊本地震の被災者には生活上の不安などから、しちょうそんの指定避難所や応急仮設住宅を選ばず、車中泊や軒先き避難を続ける人がいる。益城町の女性は、罹災証明にかかる家屋調査で全壊判定を受けた自宅で暮らしている。
本震後に娘夫婦のマンションに避難したが、体調を崩した。ずっと部屋の中にいるばかりで、足の甲が腫れた。ずっと畑作業を続けてきた生活を絶たれ、外でからだをうごかさないとかえってげんきがでなくなる。そう思い、五月末には自宅の物置小屋で軒先き避難を始めた。
畑で野菜を育て、炊事や洗濯、掃除に汗をながす日常が何よりの心の支えと感じる。
生き甲斐か、安全か。この高齢の女性は生きがいを求め、仮設住宅入りを見送った。

この取材記事のすぐ下には、熱中症危険「実態博を」と専門家が指摘する記事が並んで胃る。熊本市で昨日は37。2度。全国で510人が熱中症と見られる症状で搬送された。
熊本日日新聞紙面の第一面でも、軒先き避難、テント、車中泊の避難全容を行政はつかめていないと指摘している。

今日、熊本市長の大西一史氏がフェースブックで、「熊本地震今日で4ヶ月」。みんなで復興に頑張っていきましょうと呼びかけた。頑張るのは誰もがみんなそれぞれだ。
区役所の職員は上に立つ人の言う言葉は、「もっと被害の大きい家はある。」、「本震からもう4ヶ月ですから」だ。励ましであろうが、ハッパをかけるのは職員のすることではない。もちろん市長も同様だ。
今回の大災害で、100年前にも地震があった。その時は1年間揺れが続いた。そんな資料が出てきて、熊本は地震がないからという思い込みだと誰もが知った。これは一体なぜだろう。「全壊」でも生活をしている人たちは多い。こうした記事は、個人の頑張りを利用した心理扇動に思える。
ここにも、大戦争の行政が敷いた国民心理の誘導が重なる。
行政は、あっさり4ヶ月で収束を約束してはいない。もう一回、震度5、震度6の地震、阿蘇山の大噴火を想定した用意があるのか、私はそこを知らないと安心ならない。 
8月15日のお盆を期に避難所は閉鎖。日曜日中の退出を提示されていたが、寝るだけなら日曜日の夜まではいいですよ。というご厚意にそうことにした。
でも、この言葉の裏を読める気がする。
13日午後2時15分ごろ、熊本市東区若葉五丁目の住宅密集地から出火、アパート一棟と住宅に県を全焼した。けが人はなかった。
というのも、出火元は被災し空き家。アパートには男性3人が暮らしていたが、全員が移出中だった。家事を通報した一件の家族は近所の住民が救出した。

片付けられ、運び出されるばかり

今夜も警察の巡回があった。15日が撤収日だからといって日曜日の夜が無人になるとは思われない。事実、職員さんが通ってきているのだから。そうでなければ、無人になりますよというのが役所らしだろう。
体育館が避難所になった初日から世話になった。最後の夜までレポートしたい。