「頑張ろう熊本」
今夜のお弁当の蓋に、懐かしいステッカーが貼ってあった。
5月25日に、避難所の夕食でお弁当が配給されることになって、しばらく貼ってあったステッカーです。

本震発生直後。緊急避難場と指定されているのは小学校のグラウンドだ、ということで。 体育館も良いと、認められたのは3日か、4日後。
九州電力の復旧は称賛できる早さで、プロパンガスは、会社周りの地盤の割れなどで、ご苦労の中で復旧にきてくれた。余震では水道の復旧も早かったものの、本震では時間がかかった。

それで煮炊きができずに、非常時に準備されている食品も思う様にまかなえなかった。やがて、水道が通ったよ、と明るい声をきっかけに、小学校の給食のおばちゃんが大活躍。
それは、野菜の皮むきや切り刻むのに、自主的に(他にすることもなかったし)女性たちが手伝い、 子供達も加わり、今日の夕食のカレーはお母さんたちと子供達で作りましたよ。そんな、共同感が出来上がった。

それから、5月に授業が再開するまでは先生方の協力や、国際ボランティア青年団の長期間の協力で、避難所スペースの利便性を高める提案、避難所での共同生活のルールを、人海戦術で監督されたり手助けしてくれたり。

その後は、他県から自分たちがお世話になったのでと、炊き出しに来てくれる様になり。監督とうんようはしのしょくいんさんたちにかわった。  
職員さんがいることで被災の手続きなど、相談に乗ってくれたり、有用になっていった。

入浴の支援で、避難所外での食事も増えてきた頃。中央区の避難所で近所の料理店が配ったおにぎりで食中毒が発生。地震後初めての多くの人が病院に行く自体が起こった。
その頃から、わたしも鼻水が止まらなかったり、喉が痛くて声を出すのが苦しかったりして悩んだ。 
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 書きかけで結論まで進めず、心残りです。
途中でiPadがフリーズ。ブラウザのデータが消えてしまいました。

明日からは、コンビニなどのネットが利用出来るところから、短い内容で更新します。